byてるてる ご意見・情報などはこちらにいただけると嬉しいです
現代語訳をまとめて読みたい方はHPへ カテゴリ
以前の記事
2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 10月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 04月 2010年 03月 2009年 03月 2009年 02月 2008年 06月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 06月 2006年 02月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 フォロー中のブログ
12月5日
幸隆さんは黒が好きだったのでしょうか? 馬の名前は「荒井黒」。黒糸縅の鎧を着て嶽山城を攻めに来ています。 12月3日 外部リンクの貼り方がわかりました。岩櫃城の写真と地図をUPしました。 その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
|
永禄六年11月の事でした。たくさんの雪が深く厚く降り積もり、人も馬も通る事が出来なくなったので羽尾入道は安心して月毎に順番で館にお勤めに来る者達を皆それぞれの領地へと帰しました。
そのため羽尾入道の館は手勢が50~60人ほどしかいない状態になりました。 羽尾入道の隙を伺っていた鎌原氏は 「今、羽尾を討つには天候が悪すぎる。」 と言って甘利・祢津の両家から手勢の侍を借りて300人ほど人を集めました。 鎌原ひきいる兵が11月27日の真夜中過ぎに羽尾入道の館へ押し寄せ、鬨の声ををどっとあげると羽尾入道は驚き騒いで取る物も取り敢えずに妻女を連れて徒歩で館から逃げ落ち延びて行ったのでした。 須賀峠まで逃げてくると、雪は更に深く吹雪もより激しくなり、手先も凍傷にかかり、それでも何とか命を落とすことなく大戸氏の館へ落ちる事ができたのでした。 羽尾入道はこの年の10月に武田家に落とされた岩櫃城へいつか戻りたいと心に誓ったのですが、以前は自分の味方をしていた横谷氏も今は鎌原に味方しているので今は無理だと言っていたと聞き及んでいます。
by sanada_life
| 2010-10-12 23:27
| 加沢記
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||